私について

日記

私は2019年8月12日に脊髄腫瘍による髄内出血が原因(先生から聞かされたのはそうです。)で脊髄損傷になりました。

脊損になった経緯

脊髄損傷になる前は、正社員で働けるところを探しつつコンビニでアルバイトをしていました。

要はほぼニートでした。最終学歴は高卒(実際には大卒になるはずでした。)です。

脊髄の損傷部位はT8(胸椎8番)です。(完全麻痺)

私の損傷部位だと「胸髄損傷」という呼び方になります。

膀胱直腸障害ありです。

まず、脊損になった経緯からお話しさせていただければと思います。

2019年8月10日、23時夕方のコンビニバイトを終え就寝していたところ激しい腰痛と右下肢の脱力感あり。
2019年8月11日、6時、8月10日の腰痛継続もコンビニバイトへ(3時間)。
9時、退勤し家族とお出かけへ。この地点で杖なしに歩けなくなる。
出かける先、症状悪化し座位保持困難となる。
途中、ドラッグストアでイブプロフェン?を購入し痛みが少し落ち着く
15時、帰宅。トイレへ行ったが排尿困難あり。(これが最後の立位となる。)
16時、足の鈍痛で目が覚め、足に力を入れても(入れるような努力をしても)動かなくなる。
8月12日、夕方、膀胱が張る感じがするのに尿意を感じなくなったため、自家用車で救急外来受診。(※自分では既に運転できないand免許証をもっていないので家族に運転を依頼。)

救急外来を受診し最初に膀胱直腸障害と言われた地点でもう自分の足は治らないと悟りました。

昔から、医学の本が好きで読んでいたため意味は知っていました。

なので、そう思ったのです。

ちなみに、自家用車で救急外来に行った件については救急外来の先生や病棟の看護師さんたちからは普通は救急車呼ぶレベルだよと叱られました。

なぜ、救急車を呼ばなかったかと言うと、タクシー扱いする悪いやつと思われるのが嫌だったからです。

今思えば、足が動かない、真夏で水分が摂れないという時点で対象だったかもしれないですね。

治療の経過

2022年12月26日現在、までの経過を辿ると、救急外来病院→リハ病院→病院(褥瘡治療)→リハ病院→2023年8月20日に退院

最初に救急外来で行った病院の入院期間は2か月最初は、脊髄の浮腫(むくみ)がひどかったので、グリセオール2~3週間の間を実施しました。

その間に自己導尿(自分で尿道に管を入れておしっこを出す行為)をやったりリハビリをやったりしました。

※8/12から自己導尿開始日まではバルーン留置でした。

自己導尿…いろいろと課題がありました。

当然のことながら清潔にしなければならない、手技(消毒の仕方、カテーテルの挿入の仕方、カテーテルの清潔保持)を間違えてはならないです。

ま、初めての事なのでミスがあったのだとおもいます。

ある日突然高い熱が出ました。震えも起きました(シバリング)。

採尿をしたらおしっこが濁っていてすごく臭かったです。

検査の結果、細菌を認め、尿路感染症(以下、「UTI」と言います。)

点滴(抗生剤と吐き気がひどく水分をとることができなかったので、脱水予防の点滴を実施しました。)をしたりバルーンを留置したりしました。

一つここで問題があったのが、手術の日が9/9にあったことです。

尿路感染症になったのが8/28日の事でオペ日が9/9日で抗生剤の投与期間は1週間くらいなのでもし熱が下がらなかったらオペは変更となると主治医から伝えられました。

幸い、熱が下がったのでオペはできました。

ちょっと話が脱線しました。さかのぼります。

脊髄損傷になってからすぐに、リハビリを開始しました。

リハビリは、最初はプラットホーム(リハビリ用の固いベット)に座っているだけでめまいはするし、バランスボールに乗っているような感じはするし、汗は止まらないし最初の1週間は大変でした。

少しづつ起きている事にも慣れてきて、汗は減ってきました。

それを主にやっていたのは理学療法士さんで、足のストレット、筋力強化などを担当してくれました。

他には、0.5kgの重錘を手にもって筋トレしたり、指先のトレーニング、起き上がりなどをやりました。

これを担当してくれたのは作業療法士さんです。

2~3日置きのMRI(脊髄)グリセオールを行いながら途中、脊髄の血管造影(アンギオ)を行い、病名が「脊髄腫瘍」であることがおおよそ確定してきました。

なぜ、脊髄造影をおこなったかというと異常血管などの病態を除外するためです。

そこで腫瘍摘出術(生検術)の手術が開始されます。

生検術は午後1時スタートの午後5時半ごろに終わりました。

術中生検をしたのですが、結果が判明しませんでした。(手術の時間中には。)

後日さまざまな先生が私の脊髄腫瘍の確定診断に日々尽力いただきました。

結果は悪性ではないことがわかり「ヘモジデリンからなる肉芽種」であることがわかりましたが、主治医の先生からは何が原因でできたかは分からないと言われました。

生検術の結果が出るまでの間になんと、床ずれ(褥瘡)が出来てしまいました。

褥瘡は、最初こそ皮膚の赤みだけでしたがそのうちポケットができてしまいました。

専門の医師、看護師さんの経過観察のもと処置を続行しましたが、転院に間に合わなくなるとのことで、リハ病院へと引き継ぎとなりました。

ここまでが、脊損になってから救急病院に入院していた2か月の話です。

リハビリ病院での経過

2019年10月24日にリハビリ病院へ転院をし、本格的なリハビリが始まりました。

体幹保持のためのバランス練習、プッシュアップなどさまざまなことを行いました。

そして、褥瘡の治療も本格的な専門チームが結成され、治療を開始しましたが、増悪傾向にあり、ポケット切開をすることになりました。

それが、2019年12月11日のことです。

その後も治療は継続します。

皮膚の洗浄、薬の塗布は相変わらず続きます。

そして入院期限の6か月たったころ、専門的な治療が受けられる病院へ転院したほうがいいと告げられました。

ここまでがリハ病院入院の6か月の話です。

褥瘡治療病院への入院

褥瘡治療病院では、当初入院期間は3か月と告げられました。

その間、かなりお肉が減っていたということもあり、VAC療法(持続吸引)を2週間実施しましたが、治りがそこまでよくありませんでした。それも入院してから食事が摂りにくくなってきたことから栄養状態の問題も指摘されました。

そこで、一時的に点滴をして様子を見ましたが吐き気がひどく食事が口からとれず経管栄養を行い、栄養確保を行いました。

同時期にバルーンを留置しました。

途中、尿路感染症を何度も起こしました。

そして、びっくりなのは、褥瘡を治療しにきているのにまた褥瘡ができてしまったことです。

経管栄養を1年ほどやった頃、経管栄養でも吐いてしまったりすることがあり、1日の摂取カロリーが900㎉を満たない日が多くなったため尿路感染症を併発し再び点滴を実施します。

しかし、血管が細かったこともあり、すぐに漏れて炎症を起こしたり、感覚麻痺している足に最後の希望として刺した点滴も見事に漏れました。

そこで、CVポートというものを胸に埋め込み、中心静脈栄養が開始されます。

中心静脈栄養が開始されてからは、精神面でも吐くという不安から解消されてたのはよかったですし褥瘡も前より治りが早くなりました。

そいういう点では中心静脈栄養という選択肢は正しかったと思います。(主治医の判断であり私が提案したものではありません。)

中心葉脈栄養を行いながら、治療を行い、途中で熱が出たかと思ったら、血液からMRSAが検出され抗生剤(バンコマイシン)を使いました。

MRSAなので、バンコマイシンしか使えるのが無かった…

MRSAには複数回なっており、バンコマイシンしかなかったはずは耐性菌があるかもしれないとのことでダプトマイシン(キュビシン)を使いました。

しかし、AST/ALTの上昇があり、CTをとったところ、胆のうに腫れがあるとのことで、ダプトマイシンは中止になりバンコマイシンに切り替わりました。

結局、バンコマイシンかいって思いました。

感染症などもあり、褥瘡の治療に影響が出てしまいました。

なんだかんだで、両方の褥瘡が順調に良くなっていって2年9か月の入院期間を得て褥瘡治療病院を退院しました。

再びリハ病院での行動

ここについては後日追記します。

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